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一澤帆布も営業再開
熱がでているのにパソコンの前にいて、奥さんから散々怒られているzukunashiです。
今はその奥さんが寝息を立てています。怒りつかれたのでしょう。ゴメンネ。

タイトルどおりですが、一応元祖が営業再開です。
京都新聞電子版より一澤帆布工業が16日から営業再開 兄弟の2店舗が競合
神戸新聞Web News一澤帆布が営業再開 2006/10/16 12:03
今月始めに記者会見を開いていたので、ある程度知っておりましたが、最終的に新しい職人も入れ、工場も『日本国内』で手配し、布も違う問屋から仕入れられるようになった様子です。

私は以前3回ほど、このことを取り上げておりました。
一澤帆布はもうだめなのだろうか?
マスコミやwebの報道から・・・一澤帆布工業
一澤家 騒動のその後
私のブログの中では異例の熱の入れようです。この問題をそんなに長く取り上げる事になるとは思っても見ませんでした。

さて、再開した一澤帆布ですが社長の一澤信太郎さんは以前NIKKEI Business 2006年4月17日号『敗軍の将 兵を語る』に取り上げられインタビューを受けています。
そこでは自分が裁判に勝った正当な当主である事のみ語り、ビジネスとしての勝敗は問題にしていません。このインタビューでも
『朝日加工という生地卸が信三郎にしか生地を売らないと言っているそうですが、カネがあれば生地なんかどこからでも買えます。それが経済の原則でしょう。』(NIKKEI Business 2006年4月17日号『敗軍の将 兵を語る』より引用)
と仰っています。そのとおりになったわけですが、経済の原則を持ち出すとすれば、新しい生地、新しい職人、新しい工場で作った製品が以前の製品と比較されどう評価されるか。また信三郎帆布と比較され、その結果売り上げがどうなるかという事が重要ですね。彼は二つの評判と戦わなければいけないことになります。過去の『一澤帆布』『信三郎帆布』です。
新しい顧客をつかんで以前とは違う企業となることもこの際アリですし、信三郎帆布と競争して製品の質を高め、それにより以前のブランド力を回復する事も当然アリです。
しかし布があり工場があれば物が出来、ブランドの持つ魅力におんぶにだっこの営業をすれば、そんな殿様商売はすぐダメになる危険さえあります。
またこういった帆布製の製品は買って直ぐの時より、しばらく使って始めてその良さが分かり、丈夫さや以前の一澤の目玉でもあったメンテナンスの手厚さなど、販売以外のサービスがどうなっているかは時間が経たないと分かってきません。

一つだけハッキリしているのは、NIKKEI Business 2006年4月17日号『敗軍の将 兵を語る』の頃の一澤信太郎さんのままだと、店の行く先すら危ういといえます。こんな事を言ってますものね。
『家督は長男が継ぐもの』
(NIKKEI Business 2006年4月17日号『敗軍の将 兵を語る』より引用)




さて、webページを見ていくとちょっと気になることがある。
製品紹介を見ていくと、いろいろな製品を一澤喜久夫がデザインしていると書いてある。特にカタログ№168 牛乳配達袋では
一澤喜久夫のデザインしたもので、発案から形が決まるまで約10年かかり1986年完成。No.17と並ぶ一澤のベストセラー。1987年「ポパイ・デザイン・オブ・ザ・イヤー」、1989年「京都府 Made in Kyoto」両賞受作品。
一澤帆布工業 webページ 製品紹介より引用
と書いてあります。しかし以前私もリンクさせてもらったにほんのこころと言うWebサイトには帆布袋 デザインに、こんな事が書いてあった。
牛乳屋さんのために作ったかばんを買い物用などに使うと言って買っていくお客さんが多く、そんな方の意見を聞いて改良をします
「にほんのこころ」帆布袋より引用
以後読んで頂くと分かるが、ここでは特定の個人がデザインしたのではなく、使っている方の声を反映させた結果というにニュアンスで記事になっている。
どちらが本当か、というよりこれは企業文化が変化した事を意味しているのではないでしょうか。というのも『一澤帆布 こぼれ話  一澤帆布のネームタグ』にも一澤喜久夫がネームタグをつけることを思いついた逸話が紹介されている。その文の結びはこうだ。
古くからの従業員とごく一部の人しか知らなかった話である。
結局、身内の功績にしてしまいたいのだろう。それがひいてはお金になるかもしれないし。
しかしあなたが一番そういうことを知らなかったんじゃないの?一澤信太郎さん。
by zukunashi | 2006-10-16 17:48 | 事件・事故


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