クモノス(XMONOS)旗揚げ公演 『雨、月に舞い散る花』
えー久々の演劇です。芝居です。舞台です。

自分が出演するわけじゃないのにワクワクです(笑)

しかしこの頃自分で調べて見に行く芝居が減って、知り合いが出ているからという理由が増えました。イカンです。先日調べていたらイシダトウショウさんの舞台があったのですが、気がついたら終わっていました。遺憾です。

さて、今回の芝居もご多分にもれず知り合いが出ていました。劇団名は変わりましたが以前見に行った芝居と作演出が同じなので、同じ劇団として良いかと思います。前回の芝居は芝居見てきました・・・「対角線に浮かぶソネット」でした。しかし今回は旗揚げ公演です。新たな展開を見せてもらえることと思います。

さて、今回の芝居はSF仕立ての世紀末物です。
というと実は前回の「対角線に浮かぶソネット」もそうでした。
この2作品『『雨、月に舞い散る花』と『対角線に浮かぶソネット』は非常にプロットが似通っています。
◎SF仕立てであること。
◎世紀末的な話であること。
◎大量にヒトが死んでいること。
○劇中でもヒトが死ぬこと。
○最後に何かが残ること。
●パリは映像を撮ること。
●一回は明かりを持って踊ること。
●エリートよりヤンキーの方が強いこと。
等々・・・・・・

●はプロットとは関連が無いですが、まあ似ているという事で書きました。
類似点が多いせいか二作品目なのにちょっと食傷気味です。
しかもそこに非常に単純な二項対立が軸になり話が進みます。 『雨、月に舞い散る花』ですぐに分かるものだけでも【行く人と待つ人】【熱く夢を語る兄と冷めて今を楽しむ弟】【エリートとオチコボレ】【希望と絶望】で、これらは形は違えども両作品に出てきています。この脚本を書いた乃木太郎氏の癖なのかそれとも意図しているのかわかりませんが、これらの事を話に織り込んでいく事で肝心の筋書きは単調になっていきます。
というのもその対立がこちらの予想の範囲内で収まっていくからです。例えば熱く夢を語る兄はそのせいで死に、冷めて今を楽しむ弟は生き残る。エリートはひ弱でオチコボレはしぶとい。絶望が支配する世界に希望が最後に花を咲かせる(文字通りの意味で)等々・・・・・・。
サスペンスドラマのよな意外性がすべての芝居に必要とは思いませんが、ありきたりの「どこかで見たことのあるような」話になってしまえば、何か別の面白さを期待したくなります。

ということで今回のクモノス旗揚げ公演については残念としか言えません。今後彼らの劇団がどんな自分らしさを発揮して、その結果どんなふうに変わっていくのか・・・興味はあります。

さて細かく見て行きましょう。(ここから敬称略で書いていきます)
石川幸造は科学者の役でした。一番印象に残ったのは彼でした。
非常に重苦しい雰囲気を纏い、背中には陰謀のオーラが噴出していました。キーになる役どころをしっかり演じたのですが、あえて一言付け加えるとすれば、次はもっと強烈な芝居を見たいなぁと思います。もはや千秋楽も終わりネタバレ云々をいうことも無いので、最後に毒をあおって死ぬシーンだけト書きに『瓶を取り出して飲む』と書いてあったから飲んだように見えました。他の演技とはそこだけ違っていました。
山崎洋介は艦長の役でした。
彼は必死で演じているように見えました。演技をしている!という風情がありました。艦長を演じているのではなく演技をしていたんじゃないかな?と。臆病で神経質な演技をしていたのできっと『彼が思う神経質で臆病なヒトはああなんだろうなぁ』という事は分かりましたがあまり芝居に馴染んでいるようには感じませんでした。
赤見康夫はエリート科学者で宇宙船のクルーの役でした。
違和感なくオチコボレと反目していましたが、彼もそういう演技をしているなぁと感じてしまった一人です。
藤井靖はパリというあだ名で、映像作家として宇宙船に乗り込んでいる役でした。
パリはたぶん(作演出の)乃木太郎が拘っている役どころなんだろうと思います。彼が出てくることで無用に話が盛り上がったり、盛り上がりに水を差したりするある調整役であり、話の重要な部分をさらっと一言で言ってしまうような便利な役です。天真爛漫で非常識、自分勝手、自己中なキャラクターです。
彼はこの役を無難に演じたのではないかと思います。ただあまり心には残らなかった。最後にあれだけ熱く語ってしまうとね、なんかそれまでのキャラは猫かぶってたの?という疑問が残ります。
乃木太郎は宇宙船クルーの【熱く夢を語る兄】と地上でラジオパーソナリティをする【冷めて今を楽しむ弟】の二役でした。彼は作、演出も兼ねています。
話の中で多く出てくる二項対立は彼の役(双子の兄弟)が元になっていると言っても良いのではないでしょうか。そして最後の最後の弟の台詞を使いたいが為にこの芝居を作ったのではないでしょうか?と深読みしてしまいます。とはいえちょっとキツイ言い方をすれば、どれも(脚本、演出、役者)中途半端という気がします。意欲は買います。
木ノ下鈴は科学者の夫(石川幸造)を持つ妻で自身も科学者の役で出ていました。
研究でも家庭でも若干ギクシャクしている、という役だったのでしょう。シーンシーンを思い出すと印象が強いのですが、その間はどうしていたのかあまり思い出せません。ある意味女優としてしっかり自分を出していたと思うのですが、脚本のせいなのかそれとも・・・あまり話にしっかり絡んでいたとは思えなかったのは残念です。
島村彩也香は謎のクルーで実はテロリスト(自称)という役でした。
ウ~ン。不思議ちゃんで何を考えているのかよく分からないけど、激昂するとものすごく弁が立つ。重要っぽく期待を裏切らない役です。
た・だ・しアロッタファジャイナの頃から何故か彼女は同じような役ばかりを演じています。違う劇団の芝居を見たときはそんな事はなかったのですが。また、今回の芝居ではこの役に上手くはまっていたのかといえばそうは見えませんでした。二面性を持った役なのに、その切替が上手く行ってないように感じました。
滝野裕美は地上に残って婚約者の帰りを待つ花屋の店長の役でした。
古典的な待って耐える女という役で、最後まで生き残る数少ない役です。地上に残った弟を兄と比較して拒絶するというある意味一番やっちゃいけない事を平気でしてしまう無神経なキャラですが、ソコソコ強く、ソコソコ儚く、ソコソコ弁も立ち、ソコソコ明るい。可もなく不可もなく、悲劇のヒロインでもなければ自立した女でも無い。今風といえなくも無いが、古臭いともいえる。舞台上で魅力あるキャラクターでした。女性では多分彼女が一番分り易く、説得力のある演技だったです。とはいえ話の中にはしっかり埋没してしまって、芝居全体では印象が薄くなってしまったのも確かです。
坂井里会はオチコボレ代表でエリート科学者のクルー(赤見康夫)と死ぬまで対立する役でした。
ヤンキー言葉で男勝りで姉御肌。クルーの中で唯一月に降り立った役(?)です。弱い所を垣間見せる台詞もあるのですが・・・なんか取って付けたような感じがしたのは残念です。話では首尾一貫してエリートと対立して、オチコボレの生命力を見せつけて舞台を去ります。

最後に、理系的な目で見るといろいろ疑問点はあります。まあ一般の人の科学観、科学をどう捉えているかという事に、細かくダメ出しをする事があまり意味の有ることじゃないと思っているのでそこは華麗にスルーします(同じようにサマーウォーズもスルーしました)。とはいえどんな芝居をしたいのか、どんな楽しさ、どんな感動、どんな共感が得られるのか、今のところ全く未知です。未知数です。はっきりしろ!と言いたいジレンマがあります。はっきりしないのがうちらなんだ!と言われたらそれまでなんですが。

で、最後の最後にちょっと経済的な話します。
あの上演場所であのキャパであのチケット代はどうだろうかと思う。足が出てしまうような公演を打ちたくないとは思うが、上を見てこれから劇団を有名にして、役者を有名にして、大きな箱で芝居をしたいという価格設定にして欲しいと思った。具体的に言えば前売り2500円当日2800円(ほとんど前売りと優待で当日は少ないと思うが)は高い。友人知人ならいざ知らず、そのまた友人知人を呼ぼうとすればためらわれる額だ。ファンを増やし次の芝居の方が多い観客の前で芝居を打ちたいなら額を落とすべきだ。その額も具体的に言えば1500円から1800円(映画と同じぐらい)4人で来て1万円でもお釣りが来る額に設定すべきだ。お釣りで近くの喫茶店や居酒屋やバーに入って面白かったねーと盛り上がれる位にしておいた方が良いのではないか?次に見に来たいと思える芝居をすることが重要だが、ある程度気軽に楽しめる価格設定も重要だ。

これについては私事で恐縮ですが、大昔に遊気舎の芝居に足繁く通いました。その頃遊気舎は一公演1000円台で下北沢の駅前劇場でした。彼女(今の奥様)と見に来てその後下北で飲んで芝居の感想に花を咲かすというのがいつものパターンでした。すべての人がそうだとは言いませんが、面白い芝居を見てその話を一緒に行った人とする、または芝居好きな人として次の芝居への期待が膨らむと思います。今は遊気舎やPiperも高いし大きなところでしかやらないのでまず滅多に見に行かなくなりましたが、芝居情報を見て安かったら行こうかと思っています。そんなもんじゃないでしょうか。確かにペイ出来ない状態で役者に負担が行くのは辛いですが、もっと大きな小屋でもっと評判をとって、もっと言い演技をしたいのなら、今もう少し切り詰めて考えてみるべきじゃないでしょうか。物販も良いでしょう。脚本を売ったりCDを売って次に繋げるのも良いと思います。が、シビアな言い方をすれば脚本を売るよりもう少しいい舞台装置を設置したらどうでしょう?CDの売上でもう少し照明を吊るした方が良かったんじゃないでしょうか?芝居にかける工夫の余地がまだまだあるように感じました。演出にも役者にも。
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by zukunashi | 2009-12-29 00:38 | 映画・演劇・音楽


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