青木弟組公演『地下室の労働者』

これまでも映画、演劇の類を見て、色々思うところを書いてきました。
私自身の映画、演劇経験はホンの些細ですがあります。まあ本当に些細なんですが(^^ゞ

今日も今日とて、知り合いが出ている芝居を見に行きました。

アロッタファジャイナ番外公演『クリスマス、愛の演劇祭』
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クリスマスだから愛に関する演劇をするのか、クリスマスを愛しているのか、愛がすきなのか。色々考えさせる題名ではありますが、45分ほどの短い演劇を一日に一挙6公演してしまうという実験公演。公演会場のギャラリールデコは雑居ビルを全部ギャラリーにしたような大雑把なつくりのところで、その一室は天井も低く、太い柱も立ってて劇場とするにはチョッと辛い構造ですが、渋谷駅にも近いし、今回はそんなに集客するつもりは無かったようで、手ごろな何でもスペースといったおもむきです。中はコンクリむき出しのままで、天井はブティックなどに使われるキセノンライトあたりを照明にして、普通のステレオを音響、工事現場の足場を背景や大道具として使っています。ライトは専門の物ではないし、口径も小さいので、スポットには役に立たない為なのか、ただ暗転と明るさを多少コントロールするだけの単純なものでした。

会場について今から始まる芝居について、ワクワクは二つありました。
一つは知り合いが出ているということ。
二つは公園前に配られたパンフに、この弟組演出家のすごい一言が載っていたからです。
「日本語を使わない」
役者達は見な、そんな私の第一声に案の定とまどい、懐疑し、たくさんの質問をぶつけてきました。 ・・・中略・・・ この芝居のコンセプトは《現在の、映画やドラマにおける物語の力がドラマの最大の力、というものとは反対に、人間の力がドラマの力、演劇の力である事をモットーとしてゆきたい。》というものでした。
その意気やヨシ!なので、当然期待して開演を待っていました。

ただ、当然疑問がいくつかありました。上記のパンフレットにある「日本語を使わない」というコンセプトはさほど目新しいものではありません。もともとバレエには台詞がありませんし、本場のミュージカル、オペラなどは日本語はありません。また、日本でも歌舞伎や狂言で役者が発する言葉は、慣れれば分かりますが、初めて見に行って全部が分かるものではありません。しゃべる事が重要とはいえもともと演劇はしゃべることも含めた身体表現の芸術です。日本人が日本語を使わないと言うのは面白いとはいえそんなに斬新でもありません。
一方アンダーグラウンドの芝居でもあえて演劇的な発声をしない、ごく普通の日常のようにしゃべり振舞う、体の動きと台詞を全く分ける、舞踏のような身体表現などの演出は既に試されています。声と体は芝居の根底に横たわっている普遍的なことなんでしょう。
ただ、このパンフレットでは日本語が物語を作るとされているのは多少違和感があります。またそれに対する人間の力と言うものがどういうものなのかも良く分かりません。
  • 『物語の力』対『人間の力』
  • 物語の力=日本語で書かれたストーリィ
  • 人間の力=???
いづれにしてもパンフレットで触れられた事は芝居を見れば理解できるだろうと思います。

まず見たあとの雑感:非常に面白い芝居だといえます。
ストーリィは非常にシンプルでこれなら日本語など無くても分かるだろうというぐらい。
それと日本語で紡がれたストーリィが無いと思っていた私にとって、管理者の二人が普通に日本語で芝居をしていると、パンフレットで語られたコンセプトに対する違和感と言うよりはぐらかされ、中途半端に黙殺されているような気が強くしました。
また、彼ら二人がこの芝居にとって非常にマッチしているかといえば、人物描写は非常に平板で、怒鳴って威圧する上司と、板ばさみの中間管理職というありふれた・・・でも今そんな人どこにいるの?という疑問がわいてきます。
いそうな人ほどいない・・・昔友人と芝居をしていた時に、ふとそんな事を話した覚えがあります。世間的によく言われるステレオタイプな人間像を演ると、安易に観客を共感させれるが、芝居が続くにつれギャップが出てくる。なぜなら、そんな平均的な人間はいないんだから・・・。
考えてみればその通りです。ステレオタイプな人間像はみんなの思いのパッチワークキルトで出来たフランケンシュタインです。現実からは離れた夢の存在です。

逆に虐げられているという労働者4人は、日本語を喋らない異国人という設定なのでしょう。彼らなりに意思を疎通していますし、でたらめの日本の歌とか歌います。彼らはアメリカやヨーロッパではない、アフリカやアジア、南米などの匂いがします。オーバーなジェスチャー、派手な喜怒哀楽、そして口々に喋る声も大きめなところなど・・・。実際彼らはどこの国の人なのか分かりません。現実的な管理職である日本人達と同じく、夢の存在のように現実感がありません。
ある意味ここには演出家の感じる日本人と外人が表現されているのでしょうか。それとも劇団員全員で考えているのでしょうか。



それ以外にも細かい突込みが幾つかあります。

小道具が思ったところに発見できず、慌てているのがモロバレになってしまっていたり、自転車を止めている二本の棒のうち一本が外れてしまったので、労働者が簡単に直してしまったり、(その後自転車のメンテナンスが出来ていない!と上司に怒られる中間管理職眼鏡男のシーンがあるのに?)キレまくって乱暴に女労働者の身体検査をしていくうちに強姦まがいになっていく・・・ように見えず、単にボディータッチをして甘えているでかい子供みたいに見えるところとか。

労働者として軟禁状態の4人は日本語を話さないという設定による所もありそうですが、つらそうな場面、嬉しい場面、悲しい場面、怒る場面と非常に分かりやすい感情の起伏があり、特に中間管理職に強引に身体検査をされ強姦されかかるような場面で、それをやめさせようとしてキれた労働者が連れて行かれたあと、強姦されかかった女がもう一人残された男に嫌悪感を感じるほどの怒りや悲しみをぶつけた場面は、非常に心の迫るモノがありました。薄っぺらい生半可なものではなく、口調に断固とした激があり、火を噴くかと思う迫力が感じられました。

ただ、これは芝居のコンセプトにある人間の力がドラマの力、演劇の力である事であったとしても、ここだけでした。人間の力が何なのか未だに不明ですが、意味不明の台詞が意味を持ち芝居全体を支配した瞬間はここだけでした。

それは感情の爆発、大いなる悲しみが劇場を支配した瞬間でした。芝居のような生の演技を見る場合、均一な演技を期待される映画やテレビなどと違って、こういった瞬間を目の当たりに出来る期待があります。
そういう期待をして見に行く人にとっては意外と当たりかもしれません。
しかし、全体的に通俗的な芝居の流れになっていることもまた正直な感想です。
また感情に訴えられる場合が多いので疲れる芝居ということも出来ます。

ひどい喩えかもしれませんが、レシピの無い料理を食べてみて、もしかしたらすごく貴方にあっているかもしれません、でもひどく口に合わないかもしれません。どうですか食べてみませんか?という芝居です。

わたし?わたしデスか?
私はひどい悪食なんで、たいていの物(芝居)は食べてしまいますよ。だから私を基準に判断するのはお勧めしませんが・・・。
アロッタファジャイナ番外公演
クリスマス、愛の演劇祭
2007年12月11日火曜日~12月16日日曜日まで
ギャラリールデコにて

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by zukunashi | 2007-12-13 01:26 | 映画・演劇・音楽 | Comments(2)
Commented by 井出一樹 at 2007-12-22 05:04 x
芝居を見に来て頂いたお客様に劇評を書いていただけるとは、とても光栄です
青木弟組公演において、日本語を喋っていた髭で眼鏡の役者井出一樹という人間です
我々の芝居はには、いくつもの突っ込みどころがあったと僕自身感じています
ブログ主様が書かれた、芝居全般へのご指摘や演技ミス(と、いうのは大抵僕が本番において犯したものですが)へのご指摘とともに、真摯に受け入れたいと思います
何らかしらのフィードバックを頂ける、というのは少なくとも僕にとっては最上の幸せです

ありがとうございました
我々がこれからどうやって活動していくのか、何も決まってはいませんが
今後の参考になるご指摘を受けた、ということを忘れずに活動して行きたいと思います
Commented by zukunashi at 2007-12-22 10:14
井出一樹さん
コメントありがとうございます。
フィードバックが安易に出来る昨今、これを使わない手はないでしょう。
ただし舞台上で感じたものがきっとあると思います。私が書いたこの文章は、芝居を見たあと家で反芻してから書いていますから、当初感じたもの、舞台中の私の反応とはまた違う、頭で考えたものになります。
芝居中に受けた感動を最上のものとしてくださいね。私のは所詮2番煎じですから(^o^)丿


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