【追記有り】タバコがなくなれば文化が衰退してもいいらしい
映画評と書くのならもっと真面目にやってほしいなぁという所でも言及した特定非営利活動法人日本禁煙学会が宮崎駿作の「風立ちぬ」に対して要望をしたそうである。映画「風立ちぬ」でのタバコの扱いについて(要望)というPDFファイルがあるので、リンクしておくが、同じ様な事が書いてあるブログもあったので下記にリンクしておく。無煙映画を探せの中にある風立ちぬという記事だ。
PDFファイルの要望書の方には
なお、このお願いは貴社を誹謗中傷する目的は一切なく、貴社がますます繁栄し今後とも映画ファンが喜ぶ作品の制作に関わられることを心から希望しております。
と書かれているが上記ブログの方では
ニコチンの虜となった宮崎監督自身を反映した映画でした。
などと評している。元々無煙映画を探せは日本禁煙学会のウェブページのリンク先の一つであるので、何らかの関わりのある方のページなのでしょう。とはいえ、映画評というぐらいですが映画の批評ではなく映画の中のタバコのカウントをしているだけの記事で、評というほどのものではないのは、映画評と書くのならもっと真面目にやってほしいなぁでも書いたとおりです。
作品の文化としての側面を全く見ずに、タバコの出てきた回数のみをカウントするやり方は、言葉狩りと同じく文化の首を絞める行為である。だからこの映画評をしている方は映画が嫌いだとしか思えないのだ。彼のやり方に則って例えば、女の裸を多数出せばセクハラ映画、動物を演技させれば動物虐待映画、子供が冬に水汲みに行かされる映画は児童虐待映画(レ・ミゼラブル)、老人が山に捨てられれば老人虐待映画(楢山節考)、夫が妻に手を上げればDV映画・・・いや、こんな映画の間違った評価を羅列してもしかたがないんですが、こんなふうに難癖付けるならいくらでも出来る。という訳でこんな難癖を映画評などとよぶ必要はない。文字通り『映画難癖』である。

最後に、こんな事を書く奴の気がしれない、そんな言葉を引用して終わりにしたい。
特に、肺結核で伏している妻の手を握りながらの喫煙描写は問題です。夫婦間の、それも特に妻の心理を描写する目的があるとはいえ、なぜこの場面でタバコが使われなくてはならなかったのでしょうか。他の方法でも十分表現できたはずです。
他の方法でも十分表現できたはず、と思うのは表現者としてでは無く視聴者として。視聴者が問題だと重く受け止めれば受け止めるほど、この表現が優れている証である。そしてそういう重く優れた表現はタバコが見えるから問題であるという浅い見方では理解できないであろう。この表現を見てタバコを吸いたくなるのだとしたら、それは無煙映画を探せの中の人と同じカウント装置のような人でしょう。ある一定の数を見ると吸いたくなるという人。そんな人はこの映画を見に来るとは思えませんけどね。



特定非営利活動法人日本禁煙学会無煙映画を探せとの関わりについて、ちゃんとしといたほうが良いという奥様からの有り難い忠告がございましたので、一応関わりについて下に書いておきます。

いちおう無煙映画を探せのブログは特定非営利活動法人日本禁煙学会DATA ROOMにあるリンクの一つだが、実はきとす縄文生活研究所というところにも同じリンクがあります。このきとす縄文生活研究所というウェブサイトには代表の名前などは特に載っていないですが、”きとす縄文生活研究所”と”代表”でググってみると、色々なブログできとす縄文生活研究所の代表が見上さんであることが書かれています。見上進氏と見上喜美江氏のお二人が研究所を代表しているようです。(残念ながら主任研究員はわかりませんでした)
そしてきとす縄文生活研究所2012無煙映画大賞授賞式という記事では『見上喜美江日本禁煙学会無煙映画大賞審査委員長』という記述もありました。そして日本禁煙学会の学会役員というリンクを見ると『評議員』という項目に 見上喜美江さがみ無煙社会をめざす会 代表 となっています。ちなみにさがみ無煙社会をめざす会はきとす縄文生活研究所のウェブページの左下の方に同名のリンクがあります。

とまあこんなことから考えると、日本禁煙学会と無煙映画を探せの中の人は結構関係があるぞということになります。
お・わ・り m(_ _)m
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by zukunashi | 2013-08-15 01:08 | 映画・演劇・音楽 | Comments(0)


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