うーん、これはバスではなく清水国明問題なんでは?
私は釣りをしませんから、キャッチandリリースの正当性や逃がした魚が生きているか死んでしまうかと言う、多分に感情的になってしまう問題はこの場合スルーします。というか魚釣りを楽しいと思えなかったので、そういう問題には首を突っ込みません。

清水国明が憲法の幸福追求権の問題を出してきていますが、一般的に幸福追求権というものは自然権としての基本的人権の範疇で括り切れないものなど、新しい人権として理解されるもので、日本国憲法第13条がその根拠となります。

日本国憲法第13条
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


さて、この権利・・・近年では性同一性障害の人の戸籍の性別変更などや禁煙運動など社会的な運動にかなり引用されてきています。ただし基本的人権とし確立されている自由権、法の基の平等などとは違い、各々が自己の独立自尊の為に請求する権利としての性質が強いのが特徴と言えます。要するに自然権(生まれた時から備わっている人間としての基本的人権)では無いという考えの方が強いのです。ですから禁煙運動もそうですが、相対する喫煙する権利も幸福追求権となります。

そう考えると清水国明が言う「キャッチandリリースをする権利」というものも尊重するべきですが、逆に「キャッチandリリース禁止の権利」というものもあります。ちょうど喫煙に対する嫌煙が「知らぬ間に煙を吸い込み健康を害する」という理由で吸わない人の権利としてあるように、「キャッチandリリースを禁止」というのもそれが公益に沿ったものならば支持されます。

長ったらしくなりましたが「キャッチandリリースをする権利」は尊重しましょう。しかし日本中どこの川、渓流、湖沼でその権利を主張する事は出来ないようです。清水国明さんは以前鈴鹿8時間耐久レースにも出た事があるのでお分かりと思いますが、レースのように一般公道を走る事は出来ません。だからと言ってレーサーは自己の幸福追求を妨げられたとは言わないでしょう。レースはレース場で行なうのですから。
逆にキャッチandリリースをする事を、魚の身になって考えればかわいそう、というのは一見正しそうですが、本来の法律の話からは逸脱していますし、魚の身になって考えるということ自体、やはりナンセンスであると言わざるをえません、そう私は考えます。

狩猟、魚釣り、伐採、採掘。自然に対して何らかの影響を与えなければ人間は生きていけません。幸福追求は下手をすれば権利のインフレを招きエゴイズムが跳梁跋扈してしまうおそれすらあります。一定の枠をはめるのも人間です。今回の判決についてはそれが妥当であるかどうかは10年20年経ってから判定される事になるでしょう。

ただし今の段階での清水国明の話はダダッコのわがままと思われてもしょうがないでしょう。彼は釣る側の事だけしか気にしていないので、釣りをしない多くの人は視界に入ってこないのでしょう。彼の頭には国民は「キャッチandリリースをする」「キャッチandリリースをさせない」のどちらかだけと思っているのかもしれません。実際の大部分の人は「興味が無い」だったのですが、今回の事で「キャッチandリリースが嫌い」な人が増えたのではないかと思います。

再放流禁止条例は適法 琵琶湖の外来魚めぐる訴訟
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by zukunashi | 2005-02-08 00:43


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